2018.07.23《照手姫伝説 1/5》
こんばんわ(*´﹀`*)
毎日暑いですね~( ̄∀ ̄;)💦
この暑さに負けないために皆さま!
お待たせしました\( ˆoˆ )/
この間お知らせさせていただいた
『今年の相模RANBU○の演舞を
より楽しんでいただくための投稿!』
今日から五回にわたり投稿します(*^^*)
熱く語らせていただきますよぉ~笑笑
第一回目の投稿は
私たちが今年の演舞をつくる時に色々な言い伝えがある中、元にさせていただきました五説教の「をぐり」の物語。
長文ですが読みすすんでいただけると嬉しいです(^^)
~五説教「をぐり」~
鞍馬の毘沙門天の申し子として生を受けた二条大納言兼家の嫡子小栗判官。
中々良いご縁に恵まれなかった小栗は、ある日鞍馬山に祈願に出かけました。
途中横笛で「とうひらでん」「まいひらでん」「獅子ひらでん」と言う曲を吹いていると、深泥(みぞろ)が池の大蛇がその笛の音と小栗に惚れ、16、17の美女に化け、家に戻る途中の小栗を乗鞍の一番下の階段で待ち伏せました。
大蛇の化身とは気づかず、早速ご利益があったと連れ帰り妻としてしまいました。
大蛇は懐妊するが、子の生まれることを恐れて隠れようとした神泉苑に棲む龍女と格闘になり、7日間も暴風雨が続きました。
兼家は、我が子と言えどもこのような危険な者は都にはおけないと小栗を常陸の国に流されました。
妻の定まらない小栗は、この場所で武蔵・相模の郡代横山のもとにいる、日光山照る日月の申し子美貌の照手姫のことを行商人から聞かされます。
まだ見ぬ姫に恋をし、行商人に頼んで照手に文を渡し、照手姫から返事を受け取るや、小栗は11人の家来とともに、照手姫のもとに強引に婿入りしてし、小栗と照手は言葉では言い尽くせぬ位華やかで仲睦まじい夫婦となりました。
使者も立てず、強引に婿入りした小栗に怒った横山は、三男三郎とたくらみ、人食い馬の鬼鹿毛に乗ってみよとけしかけましたが、小栗は鬼鹿毛に「命が終わった時には御堂と寺を建て、鬼鹿毛の姿を漆で塗りかため、馬頭観音として祀る」と説き伏せ乗りこなしてしまいました。
面白くない横山と三郎は今度は小栗に毒の酒を飲ませようとたくらみました。
不老不死の酒だと振る舞い、小栗と家来達は毒殺され、小栗は上野原で土葬に、家来は火葬されました。
横山は小栗を殺して我が子を殺さなければ、都での評判が悪くなると思い、家来の鬼王、鬼次兄弟に照手姫を相模川のおりがら淵に沈めて来なさいと命じました。
小栗と家来達の死を悲しみ三途の川のお供をしようと心に思う照手は、自ら従っておりがら淵に到着しましたが、沈み行く姫をあまりに哀れに思った鬼王、鬼次兄弟は、沈みの石を解き、船に乗せて相模川に流しました。
鬼王、鬼次兄弟に情けをもらい、流れ流れて、慈悲第一の村君太夫に救われますが、姥の虐待を受けます。日月の申し子照手姫は千手観音の加護により難を逃れたものの人買いに売り飛ばされ、美濃国青墓宿の万屋の君の長殿に買い取られました。
君の長殿は照手に「ここでは生れた国の名前を使う。どこの国の生まれか」と聞きました。
照手姫は常陸の国の者、相模の国の者、どちらを名乗ろうか迷いましたが、朝夕に名前を呼ばれて小栗を偲びたいと、夫の古里常陸の生れだと申し出ました。
君の長殿は美しい照手に常陸小萩と名付け、遊女勤めをせよと十二単を差し出しましたが、照手はそれでは草場の影にいる小栗が、さぞや無念に思うことだろうと断りました。
あの手この手で脅しても遊女勤めを承知しない照手に、16人でやっている水仕を引き受けるかどちらか選べと迫りました。
照手は16人分の水仕を1人で引き受け、宿に着く100頭の馬に糠をやり、100人の馬子の食事の仕度をし、100人の遊女の髪を結い、18町先まで離れた泉の水を汲みお茶の仕度をし、忙しく働きましたが、照る日月の申し子照手に千手観音が寄り添いお立ちくださっていたので、16人でやっていた時より早く終わるのでした。
それも苦労と思わず、念仏を唱えて3年が立ちました。
一方、死んだ小栗と家来は閻魔大王の裁きを受けました。
土葬で体のある小栗は「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢の遊行上人宛の書き付けとともに現世に送り返され、火葬で体のない家来は十王となり、閻魔大王の家来となりました。
藤沢のお上人が上野原を通りかかったとき、築いて3年になる小栗塚に烏が群れて鳴いているのを見つけ、行き倒れの者でもいるのかと立ち寄られました。
そこには小栗塚が割れ、髪は少なく、手足は糸のように細く、目も見えず、耳も聞こえず、足腰は立たない餓鬼阿弥がはい回っていました。
お上人は餓鬼阿弥の胸にある閻魔大王の書き付けを読み、餓鬼阿弥と化した小栗を餓鬼阿弥陀仏と名付けて土車に乗せると、胸の書き付けに「この車を引くものは1日引けば千蔵供養、2日引けば万蔵供養になるべし」と書き足しました。
お上人自ら土車を引いて上野原を出発し、相模原の田畑の畦道を通るときには、照手の父横山殿が、餓鬼阿弥陀仏が敵小栗と気づかす、沈めた娘照手姫の供養にと、5町引いて行きました。
小田原、箱根、霊峰富士を拝み、美保の松原、田子の浦、駿河、島田宿、大井川をわたり、矢作の宿から、三河に入り、熱田の宮に着きました。亡き父、母の供養にと多くの人に引かれた車はやがて美濃の青墓に到着しました。
なんの因果かご縁か土車は照手が常陸小萩の名で働く万屋の前に3日間捨て置かれていました。
そして、折しも清水を汲みに外に出てきた照手は餓鬼阿弥陀仏の土車を見つけました。
1日引けば千蔵供養、2日引けば万蔵供養と書かれた胸の書き付けを見て、ならば1日は亡き夫小栗の供養、もう1日は夫と供に殺させた11人のご家来衆の供養のために土車を引きたいと思い、2日引いた道を1日で帰って来るために、3日のお休みをいただきたいとお願いしました。
君の長殿は、君の長夫婦にもしもの事があったときには照手が身代わりになる事を条件に、5日間の休みを与えました。
照手は餓鬼阿弥仏が小栗であると知らずに垂井の宿、美濃、近江、鏡の宿を通り大津まで来たときにはや3日がたっていました。約束に5日間を守るためには、ここから2日で戻らなくてはなりません。
さあもう戻らなきゃとは思うものの、心が残り立ち去れない照手姫。
硯と墨を借り、餓鬼阿弥の胸の書き付けに「街道に土車を引く人はたくさんいましたが、私は美濃の国から大津まで引いて参りました、万屋の常陸小萩と申します。熊野のお湯に入られて病が癒えましたら、必ず美濃の青墓にお寄りください」と書き残しました。
餓鬼阿弥を残して行くことに、かつて横山の家で小栗と別れた時と同じ悲しみを感じながら、やっとの事で思いを絶ちきり、照手は青墓に帰りました。
土車は桂川、広瀬宿、太田宿、天王寺、住吉大社、糸我峠、蕪坂、仏坂を通り、熊野路のこんか坂でとうとう止まってしまいました。
ここから湯の峯までは坂が険しく、とても引けないと捨て置かれてしまったのです。
とそこへ修行の山伏達が通りがかり、うち捨てられた餓鬼阿弥と胸の書き付けをご覧になりました。
そこで竹篭を組んで餓鬼阿弥を入れ、若先達が背負ってついに熊野に到着し、湯の峯にお入れくださいました。
熊野・湯の峰温泉の薬効にて1週間で両目が開き、2週間で耳が聞こえ、3週間で物を言えるようになり、7週間49日の湯治の末、小栗の業病は完治し元の体に戻ることができました。
小栗は夢から覚めたような気持ちで、神様からいただいた金剛の杖をつき、熊野三山、3つの山にお参りし、深くお礼を申し上げました。
その後、小栗は京に戻り父と母に再会しました。
そして天皇により死からの帰還は珍事であると称えられ、常陸・駿河・美濃の国を賜ることになりました。小栗は美濃国、青墓の万屋を訪ね、常陸小萩に会わせるように申し付けた。
常陸小萩は水仕の着物にたすき掛けをした姿で現れました。
小栗は熊野のお湯で病を癒し、復活した事、餓鬼阿弥の胸に常陸小萩が残した書き付けを見てお礼に伺ったと告げました。
その言葉を聞き、照手はまたまさかこの世で愛しい小栗に会えるとは思っても見なかったので、喜びの涙でむせびました。
こうして二人はまた巡り会うことができました。
やがて小栗は照手姫の手を取って、国へと戻り、横山を攻めよとお触れを出しました。
しかし照手姫は、父のご恩、母のご恩に背いた罪は返ってきます。
自分はすでに12の罪を悲しく思いますのに、父を殺して罪を得る事はできません。
明日の横山攻めは思い止まってください。
と小栗にお願いしました。
小栗は照手姫の言葉を聞き入れ、横山を許す事にしました。
照手姫はこの事を書状に書いて送りますと、横山殿は「昔が今にいたるまで、七珍万宝の宝より、わが子に増したる宝はないと今こそ思い知った」と自分のおかした罪を惜しみました。
横山は小栗と照手姫に黄金の荷を積んだ10頭の馬に添え、鬼鹿毛を送りました。
小栗殿は約束通り、御堂と寺を建て、鬼鹿毛の姿を漆で塗りかため、馬頭観音として祀りました。
二代の長者と栄え、83才で大往生を遂げた小栗判官は、一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡(八幡神社)に祀られました。
照手姫も恋の鏡と崇められ、結びの神として祀られたのでございます。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!
第二回目の投稿をお楽しみに❤*.(๓´͈ ˘ `͈๓).*❤
2018.07.23
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